《寄稿》徳川昭武と野田、座生沼

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※今回のコラムは、当館で開催中の特別展「野田の桃源郷~漢詩文にみる岩名桃林と座生沼~」に関わるお話について、松戸市戸定歴史館に勤めておられます、小寺瑛広氏よりご寄稿いただいたものになります。当コラムへの寄稿をご快諾いただいた小寺氏には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

德川昭武と野田、座生沼

小寺瑛広(松戸市戸定歴史館研究員/ジャポニスム学会理事)

 2021年12月17日までの会期で、野田市郷土博物館では「野田の桃源郷~漢詩文にみる岩名桃林と座生沼~」展が開催されている。筆者も深い関心とともに展覧会を拝見した。

と、いうのも、私が勤務している松戸市戸定歴史館(最後の水戸藩主德川昭武の私邸・戸定邸に隣接する博物館。德川家伝来品を中心に資料を収蔵・展示)の主要研究対象である德川昭武もまた、座生沼を訪れているのである。

昭武は明治17年(1884)6月22日より、戸定邸に生活拠点を移しているが、記録上初めて野田を訪れたのは、明治22年(1889)11月20日から22日のようだ。この日、昭武は午後7時発の通運丸(利根川・江戸川を航行する蒸気船)で野田へと遊猟に出発した(註1)。彼の狩猟記録「遊猟獲物扣 第二号」(註2)によると、21日には野田、宝珠花(埼玉県春日部市)、他に長須(坂東市)、矢作(坂東市)で、22日には木野崎(野田市)、三ツ堀(野田市)、新川(流山市)で銃猟を楽しんだようだ。ただし、成果は「無猟」であった。昭武は22日午後6時に戸定邸へ帰邸した。

次に野田を訪れた「かもしれない」のは、明治27年(1894)1月8日から11日(註3)。狩猟記録「銃猟獲物扣 第三号」(註4)ではこの時彼が猟場としたのは、茨城県北相馬郡野木崎(守谷市)などだったようだが、「覚」として「野田町旅店大田屋」が記されている。宿泊先、あるいはその候補だったのかもしれない。

さて、この年3月25日、松戸町初代町長安蒜權左衛門が戸定邸を訪れている。当日の「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)の記述【図版1】を見てみよう。

【図版1】「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治27年3月25日条

 

同廿五日曇朝雨九時より晴(中略)一、安蒜權左衛門参邸、兼テ蔵王沼桃林ノ有無御問合相成居候処、同人探偵ノ趣ニよれハ、蔵王沼ハ周廻一里余、沼ノ沼岸悉ク桃樹ニテ陸より見ルハ舟中ニ不如、近来野田ノ豪商共申合船新造セリト、且刀根川向川岸金ケ井ト申所<蔵王沼より半町程>ニ桃畠アリ、是又季節ニハ壮観ナリト云、

 

昭武は安蒜に、座生沼の桃林の有無を調べるように依頼していたようだ。安蒜は、「座生沼は周囲3.9㎞(1里)あまりで、沼岸に植えられている木はことごとく桃で、陸から見るよりも船で見るほうが良い。最近野田の豪商たちが申し合わせて船を新造したという。また、江戸川の対岸、座生沼より半町(54.5mほどだが、おそらく誤記だろう)ほどの金野井(埼玉県春日部市西金野井)という場所にも桃畑があり、これも花の季節には壮観である」と報告した。昭武もまた、座生沼の桃林に興味を示していたのである。

こうして、昭武と彼に仕える水戸德川家の職員たちはたびたび野田、そして座生沼を訪れるようになる。明治33年(1900)4月8日には、德川家職員の金澤誠・根本進が野田町辺りへ「遠足」に出かけている(註5)。

昭武自身も明治35年(1902)4月16日、甥の足利於莵丸子爵、職員金澤誠とともに松戸から野田まで自転車の遠乗りを楽しんでいる。午前9時過ぎに出発し、松戸の戸定邸に戻ったのが午後3時半であった【図版2】(註6)。

【図版2】「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治35年4月16日条

昭武の自転車使用記録「コロンビア自転車乗用里程表」【図版3】(註7) には、「野田町公園」とあるので、往復約47㎞のサイクリングの目的地は清水公園、そして季節的に座生沼の桃林であったと考えられる。

【図版3】「コロンビア自転車乗用里程表」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治35年4月16日条

その翌年、明治36年(1903)4月8日にも昭武は職員の金澤誠をお供に、自転車で野田に出かけている。この日は午前8時に出発、午後4時頃に戸定邸へ帰宅という往復約51~53㎞の道程であった。目的地ははっきりと「野田在桃林」【図版4】(註8)とあり、昭武自身も「野田町公園」と記している【図版5】(註9)ので、清水公園、そして座生沼の桃林だったのは間違いない。

【図版4】「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治36年4月8日条

【図版5】「コロンビア自転車乗用里程表」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治36年4月8日条

【図版6】コロンビア自転車と德川昭武 1902.10.德川達道撮影 13.9×10.5 (松戸市戸定歴史館所蔵)

今回の展示では、昭武が目にしたであろう風光明媚な座生沼と桃林、そして、文人たちの想像力を刺激し、多くの漢詩を生み出した文化的土壌の豊かさに触れることができた。より多くの方々に、かつて野田に存在した「桃源郷」を訪れていただけるよう、願ってやまない。

 

(註1)「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治22年11月20日・22日条「同二十日晴(中略)午后七時江戸川蒸気ニテ御遊猟トシテ上公野田町地方ヘ御出張被遊タリ、安食御供、(後略)」「同二十二日晴(中略)午后六時 上公のだヨリ御帰邸被遊タリ(後略)」。

(註2)「遊猟獲物扣 第二号」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治22年11月20日~22日条「同廿一日野田・宝珠花・長須・矢作、 同廿二日木ノ崎・三ツ堀・新川 一、無猟、 英16 五発」。

(註3)「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治27年1月8日~11日条「八日晴(中略)一、上公夜十一時通運丸汽船ニテ安食裕扈従御遊猟トシテ御泊リ掛ケ御旅行被遊タリ」「十一日晴(中略)一、上公御猟場より御帰荘、雉子八羽・兎壱羽・鴫・鷭等御猟獲アリ」。

(註4)「銃猟獲物扣 第三号」(松戸市戸定歴史館所蔵)「同九日北相馬郡野木崎辺 一、鶉 一羽、 英16 三発、 同十日同上山手 一、ヒヨ鳥 一羽、 一、兎 一疋、 英16 四発、 同十一日同郡矢割辺 一、無猟、 英16 九発、 此行正蔵雉八羽獲、 覚 野木崎旅店糀屋、野田町旅店大田屋」。

(註5)「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治33年4月8日条「同八日晴(中略)一、金澤・根本日曜休日ニテ、野田町辺ヘ遠足セリ(後略)」。

(註6)「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治35年4月16日条「同十六日晴(中略)一、足利様午前九時御参邸被遊候、 一、上公ニハ足利様御同伴、金澤誠御供ニテ野田町ニ御遠乗被遊候処、午后三時半御帰邸被遊候(後略)」。

(註7)「コロンビア自転車乗用里程表」(松戸市戸定歴史館所蔵)「35/4/16 (方向)松戸野田町公園間往復 (里程)十二、〇〇」。

(註8)「戸定邸日誌」(松戸市戸定歴史館所蔵)明治36年4月8日条「同八日晴(中略)一、上公午前八時ヨリ金澤誠ヲ従ヘ、自転車ニテ野田在桃林ヘ御見物トシテ被為入、午后四時頃御帰邸被遊タリ、(後略)」。

(註9)「コロンビア自転車乗用里程表」(松戸市戸定歴史館所蔵)「36.4.8 (方向)戸定邸野田町公園間往復 33哩1/10 (里程)13.20.13」。