「野田八村の桃花」を見下ろしてみよう

現在開催中の特別展「野田の桃源郷~漢詩文にみる岩名桃林と座生沼~」は、明治から大正期にかけて盛んに栽培されていた桃をテーマにした展示です。

しかしながら、当時の“観桃スポット”だった座生沼はすでに消失しており、道路やまちの区画も昔とは大きく異なってしまっています。

そこで、当時の地図をじっくりとご覧いただくために、このようなパネルを用意してみました。

これは、明治10年代に大日本帝国陸軍参謀本部陸地測量部によって作成された「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」という地図をもとにしたパネルで、大町桂月が『東京遊行記』(明治39年発行)で紹介した「野田八村の桃花」とその周辺を含んでいます。この地図には土地利用の様子が詳しく表記されており、岩名や堤台、中野台などにたくさんの「桃」の文字を見ることができます。また、座生沼も水色で記されており、その大きさをうかがうことができます。

ちなみに、このパネルは床面に貼り付けてありますので、そのままパネルの上に乗ってご覧いただくことができます。地元からお越しのご夫婦が、「うちの家はこの辺りかな」とお話になっていました。ご来館の際は、ぜひ、地図の上から「野田八村の桃花」を見下ろしてみてください。