衝立「飛魚図」複製画公開

このたび、市民会館に置いてある衝立を修繕いたしました。

この衝立は元々茂木佐平治家で使用されていたもので、昭和32年に建物が市民会館になった際に、備品としてあわせて寄贈されたものです。正面玄関に置かれていたのを見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回、傷んでしまった絵の部分を保護するために修繕を依頼し、原画は掛け軸にして別に保存し、衝立には複製画を仕立て直しました。在りし日の茂木佐家の暮らしのしつらいが分かる貴重な建具です。

修繕され複製画が入っている。大きさ(外装)は横126cm×縦は足を除き115cm。

画面いっぱいに悠々と泳ぐトビウオの群れが描かれています。幸いにしてあまり顔料の剥落はありませんでしたが、絹本(絹地)の破れや全体的に汚れが多く見られました。修繕の結果それが直り、画がとてもきれいになりました。皆様を正面玄関でお迎えします。原画はいずれ展覧会等でお披露目する機会をお待ちください!

      

修繕後。(画像は複製画のもの)          修繕前。魚が破れてくすんでいるのがわかる

作者は藤山鶴城。(明治3年(1870)―没年不詳)

本名藤山復雄。京都舞鶴出身、旧田辺藩士族。京都府画学校に入学し、幸野楳嶺に学び、東京に出てきて野村文挙に師事。帝国絵画協会会員、日本美術協会会員。宮中御用品なども手掛けた。
地元舞鶴市の寺院に障壁画が残っていたり、幼児教育用の絵を手掛けたものが市内の幼稚園に保存されている。また軍に付き添い満州偵察に参加したことがあり、関連の書籍の中で明治39年に挿絵を寄せていたり、日露戦争関係の本に挿絵なども残り、従軍絵師としての経歴もある。歴代天皇の呼称についての論文を掲載した著作物(昭和9年)が確認出来る。明治~昭和初期に活動した絵師。

現代では日本画の描かれた「屏風」や「襖絵」を日常的に見ることはありませんが、昔の人々の暮らしの中で珍しいものではありませんでした。大正~昭和初期頃は、生活に美術が意匠として取り入れられていた時代の最晩年期であり、こうした日本画が特別なものではなく日用品として用いられていた暮らしの一端が窺えます。家の格式を示すものとして、美術資料としてだけでなく、当時の生活資料としても注目できます。