昭和43年頃
天明年間の浅間山噴火の死者を供養するために創建されたと伝わる。同地から出土した板碑を俳人・小林一茶が見に来たことでも知られる。昭和44年に「十王堂境内地」として野田市の指定文化財第1号となったが、昭和50年代に老朽化のため取り壊され、昭和53年に同じ目吹の観音院内に再建された。
(当館蔵)
昭和43年頃
天明年間の浅間山噴火の死者を供養するために創建されたと伝わる。同地から出土した板碑を俳人・小林一茶が見に来たことでも知られる。昭和44年に「十王堂境内地」として野田市の指定文化財第1号となったが、昭和50年代に老朽化のため取り壊され、昭和53年に同じ目吹の観音院内に再建された。
(当館蔵)