明治前期
中野台にあった醤油蔵の平面図で、機械化以前の敷地内の配置が分かる。
計9棟の建物があるなかで、120本以上の大桶が並ぶ仕込み蔵の面積がもっとも大きい。中央には醤油をしぼる槽場、麹をつくる麹室、麦を炒る釜場などの作業室があった。加えて醤油造りを担う蔵人や杜氏の居住空間(広敷)と風呂場も同じ敷地内にあった。このほか薪蔵や穀蔵、樽蔵といった倉庫が付属したと考えられる。
(当館蔵)
明治前期
中野台にあった醤油蔵の平面図で、機械化以前の敷地内の配置が分かる。
計9棟の建物があるなかで、120本以上の大桶が並ぶ仕込み蔵の面積がもっとも大きい。中央には醤油をしぼる槽場、麹をつくる麹室、麦を炒る釜場などの作業室があった。加えて醤油造りを担う蔵人や杜氏の居住空間(広敷)と風呂場も同じ敷地内にあった。このほか薪蔵や穀蔵、樽蔵といった倉庫が付属したと考えられる。
(当館蔵)